拜年贺卡 手书为佳

下手でかまわない、ただし文字は丁寧に書けと、入社早々の研修で言われた。例に出されたのが故・吉村昭さんの小説「星への旅」。小紙の話か、他社のことか忘れたが、太宰賞受賞の記事が、記者の乱筆のせいで「日生への旅」になってしまった

在一入社就举办的研修班上,早早地就被告知说,你的字写得不好没关系,但一定要认真写。当时用作实例的就是已故吉村昭先生的小说“星之旅”。我忘了这事发生在敝报社还是其他单位,不过切切实实地记得,那是一篇关于获得太宰奖的报道,由于记者书写潦草,最终竟成了“日生之旅”了。

この手の間違いが、かつては少なくなかった。「水着姿多し」が「水着婆多し」になったという話が『誤植読本』(ちくま文庫)という本にあって笑った。書き手が悪いのか活字職人のうっかりか、いずれにしても今は昔の逸話である

这种书写方式造成的谬误曾经还不少发生。诸如将“泳装姿很多”理解成了“泳装婆很多”,类似的故事都被载入了《误印读本》一书,以供人一笑。不知道这是书写者的错误还是印刷排版工人的疏忽,总而言之,都是些发生在从前的轶闻。

手書き文化はたそがれて、年賀状ももっぱらデジタル機械が代行する。それゆえだろう、肉筆を見直す空気が生まれつつあるという。仕事納めもすんだ今日あたり、遅い宛名書きにいそしむ方もおられよう

手写文化正在日暮西山,连贺年卡也全都由数码器械代劳了。或许也正是因为这个原因,一个重新审视亲笔书写的氛围正在逐渐形成。最近这两天,手头工作也都基本了结了,想必有不少人正忙着书写收信人的姓名地址,虽然稍嫌迟了点。

賀状だけのつきあいが長くなり、もう面影だけの人もいる。思い浮かべながら名前を書く。普段使いの字より少しかしこまった字を並べ、ひとこと添える。下手でいい、丁寧に、である

光是一年一次贺年卡,这种形式的交往时间长了,有些人会觉得对方在自己心目中也就只剩下一个身影了。这时,我们会在书写其人姓名时联想起一些他的情况。书写的字体也会比平常的更恭恭敬敬一些,因此也就增添了一些内含。字不好看不要紧,认真就行。

〈いつもよりやさしくゆっくり年賀状の宛先を書く「福、島、県」と〉石田佳子。かつて本紙歌壇に載った一首に、手仕事による民芸品の美を追い求めた文人、柳宗悦(やなぎむねよし)の言葉が重なってくる。「手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて……」。手書き文字も変わるところはないはずだ

〈特认真非比寻常,慢慢写姓名地方,“福、岛、县”灾区亲朋,贺年卡一诉衷肠〉石田佳子作。从这首曾经刊登在本报歌坛的和歌里折射出追求手工制作民间工艺品之美的文人柳宗悦的话语,“手并不仅仅是作出动作,而总是在其纵深处蕴含着此人的内心情感······”尽管手写的文字也没有什么改变的地方。

今年は美文字がブームというが、金釘流でも心はこもる。これから出すという人は面倒がらずにいかがだろう。パソコンを片付けてみれば、机の上は意外と広い。

今年,兴起了一股书写漂亮文字的热潮,可即便如此,草上飞派的字体里也满含着书写者的心情感受。我建议那些这就开始办理此事的人要不厌其烦地认真书写,不知意下如何?把电脑收拾起来,你会意外地发现书桌更宽大了。

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